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ワインバトラー・ハーヴィ

第4回:「就職活動2」

さて、次に当時の私が考えたのは、やはり就職先で日本を代表するホテルと言えば「帝国ホテル」なので、会社説明会に参加しました。しかしながら前にもお話致しました様に、大卒というのは幹部候補生として採用されていましたので、私が活動した夏休みの終わり頃には殆ど決まっていました。が、採用を辞退した学生が出て、それに対する募集だった様で、ここも少ない募集人員に大勢の学生が集まっていました。それでも会社説明会には200人くらいは来ていて、宴会場は多くの学生で埋まっていました。そこに現れたのは総務の課長クラスの方でした。

お話の始めはその方のたたき上げのお話で、「私は大卒ですが、こういうサービス業はそんな私でも、ご多分に漏れず最初の仕事は便所掃除から始めました。」の一言から始まったのを今でも覚えています。当時、帝国ホテルはJR側にインペリアルタワーが建てられ、その全盛期を誇っているような感じでしたが、この総務の方のお話の出だしは、参加していた学生の不安感を少し煽る効果があったかも知れません。「もしかしたら今でも便所掃除をやらされるのか?」と、何人かの学生の顔が曇っていたような感覚がありましたが、どうも脅しだったようで、「でも今は他のホテル、例えばオークラさんやニューオータニさんがどういうサービスを提供しているのか?クオリティーは?ということを日々研究しあっていますから、例えばうち(帝国)もオークラさんにこっそり泊まって、石鹸のサイズやトイレットペーパーの質などを調べています。」と説明してくれました。

私はそのお話を聞いて何だか自分の求めている世界と違うなぁと漠然に思いました。最初はサービスに配属されて、やがては経営の担い手として会社側から判断されて異動する、そんな気がしたのです。私は、結局は同じ事だけど、自分がもうサービスは良い、つまり、納得した、極めた!だから裏方?経営?に行くんだと思っていましたので、納得がいかないうちに会社が異動を決めるなら何だか自分の考えが違うという事を強く感じたので、帝国ホテルはこの会社説明会だけで終わりにしました。よく考えてください。例えばソムリエになるには時間が掛かる。やっとなれたとしても、会社が経営の幹部として考えての採用ならば、おそらくソムリエとして採用はしない。大卒のソムリエはいらないという事になりますね。そういう事を考えたので採用試験を受けるのをやめました。もちろん十中八九受からなかったでしょうけど。後、何十年か後に私は巣鴨にある駿台トラベルホテル専門学校で縁あってサービスの授業を受け持ち、そこで分かったことですが、高卒や専門学校卒は帝国ホテルにとっては総合職の採用では無く専門職中心であり、大卒はあくまでも総合職が基本であるということです。確かではありませんが・・・。

私は愈々就職で困難を極め始めた訳ですが、大学に出された就職の掲示板を見に行きましたら、一件だけ、募集がありました。それが、今の私のホテルマン、ソムリエの原点となる横浜の山下公園の前にある僅か170室の小さなホテルでした。その頃横浜のホテルと言えばホテルニューグランドが有名で、古くからありましたが、私が入社した頃はもう古さが目立って余り集客出来ていない様子でした。

入社試験は簡単な英語の筆記試験と面接だけでした。面接は志望動機と希望職種を聞かれただけでしたので、今までの入社試験の様な厳しさが無く簡単な感じで終わりました。「希望職種は?」と聞かれましたので「ソムリエがやりたいのですが、勉強も必要でしょうから最初はウエイターでも構いません」と言いました。一週間後に合格通知が来ましたので何だか自分は就職出来て良かったとホッと胸を撫でおろしたことを覚えています。

そうなれば後は卒業の事だけですから、ゼミの卒論を仕上げるために勉強に集中しました。私の専攻は経済学史でしたので、当時、立教大学の教授の斎藤先生のサプライサイドエコノミーについての時代変遷等をテーマに何とか書きあげました。本当に、人生というのは面白いもので、その数十年後、東京のホテルでソムリエをしている時に、和食のレストランの個室で「何だか大学の教授でワインに詳しい先生が来てソムリエを呼んでくれと言っている」と言うので行きましたら、その斎藤先生がいたことは大変驚きました。その時に、自分が大学生だった頃、先生の本を読んで卒論を書いたとお話させて貰いましたら、たいそう喜ばれて、「そんな本を書いた時代もあったねぇ」と笑われてしまいました。

さて、入社した小さなホテルは今は無き「ザ・ホテルヨコハマ」で、横浜の相模鉄道(相鉄)が殆どの株式を有しており、親会社と子会社の様な関係のホテルでありました。これからホテルという職種を希望する方はよく覚えておいて下さい。親会社を持つ子会社にあたるホテルがどういうホテルなのか?どういう運命をたどるのか?という事を今後、少しずつお話の中に入れて行きますので、宜しくお願いいたします。ちょっと話は逸れますが、航空会社の日本航空もこのホテルの株式を有していましたので、ホテル名は「ザ・ホテルヨコハマ」でしたが、株式会社名称は「横浜日航ホテル」でした。今だからお話できますが、屋号が「ザ・ホテルヨコハマ」、株式会社名が「横浜日航ホテル」。これはどういう事かというと、横浜日航ホテルというホテル名だと、あからさまに日本航空系のホテルという感じがしてしまうので、横浜の中の一流のホテルを目指す心意気で「ザ」を付けて「ザ・ホテルヨコハマ」としたんだよ、と聞きました。その中でも当時は「石川さん」という方が役員?で力があったので「ホテル・イシカワ」にしようか?というお話もあったようですが、却下となったようです(笑)。

私の配属先は、13階にあるフランス料理のダイニングで、大きな窓越しに氷川丸と山下公園を見下ろす美しい夜景が映える素晴らしいレストラン「カラベル」でした。

by ハーヴィ

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